March 31, 2008

バレストル御大死去

元FIA会長のバレストルが死去
前FIA(国際自動車連盟)会長のジャンマリー・バレストル氏(フランス)が、27日(木)に死去していたことが明らかとなった。享年86歳。死因や場所等は不明。
1986年にFIA(国際自動車連盟)会長に就任したバレストル氏は、当時FOCA(フォーミュラワン・コンストラクターズ・アソシエーション)のバーニー・エクレストン氏らと激しく対立。
しかしF1を商業的にも大きく成熟させることに貢献した。
しかし当時のいわゆる『セナ・プロ時代』、同じフランス人だったアラン・プロストを優遇し、逆にライバルだったアイルトン・セナ(ブラジル)に対しては不利な裁定を繰り返したことで非難する向きも多かった。
現会長のマックス・モズレー氏は「バレストル氏は世界のモータースポーツにおいて多大な影響を残した人物で、彼を失った悲しみはFIAにとっても計り知れないものだ」とのコメントを明らかにした。






人( ̄  ̄。)合掌・・・

国際自動車連盟(FIA)と国際モータスポーツ連盟(FISA・当時)の会長を兼任。

パリ・コンコルドに生まれ居を構える生粋のフランス人。



FISA  VS FOCA

F1    VS アメリカンモータースポーツ

FIA   VS F1ドライバー

バレストル VS 非ヨーロッパ人ドライバー




80年代のF1は政治闘争の時代といっても過言でないほど激動の渦に巻かれていた10年でした。

その中心にいた人物がこのバレストルでした。








当時のFISA競技規定には

国際競技規則58条
『全競技者は規則を熟知し、競技規則とFISAの通達には積極的に従わなければならない』


と記されており、さらに

FIA規定29条
『FIA競技者はいかなる時でも、FIAほか関連機関を批判してはならない』


同じく170条、171条に

『FIAは問題が起きればいかなる場合でも介入できる。また、オフィシャルに代わり絶対的な判断を下すことができる』


という規則とセットでF1のすべての競技規約と技術規約を支配,

F1ボーイズの自由を奪っていたのです。







つまり、FIAおよびFISAは自由にやりたいように規則を変更でき

一度決めたことに対して、意義や不満、さらには意見を求めることは許されませんでした。

バレストルの絶対王政、バレストルは絶対君主。

会長就任時には上記の規則を職権乱用ともいえるくらいフルに活用しました。

いつ理不尽な理由で自らの存在を消されるかという

張り詰めた緊張感がパドック内外で漂っていたものでした。







この人の頭の中はフランスは偉大だという考えがすべての基本。

パリで生まれ、パリで育ったため愛国心は尋常ならないものがあります。

80年代後半、ホンダエンジンがF1の常勝エンジンになるや、

バレストル
ターボエンジンはルノー(フランス)がF1に持ち込んだ。なのに極東の島国の小国が勝利を欲しいままにしている。なぜ自動車技術大国フランスが負ける?これは由々しき事態だ


と発言し、1986年イタリアGP後のコンストラクターズ会議にて1988年からの


ターボエンジンの過給圧を2.5バールに規制する


というレギュレーションを強引に発動。

明らかなホンダ潰しとともに


F1にイエローはいらない


と、人種差別発言をし国際問題に発展しかねない事件まで起こしたというのは有名なエピソード。





コンストラクターだけでなくドライバーもフランス人。

やはり80年代後半、二人の天才がF1の覇を争っていました。

一人はブラジル人のアイルトン・セナ

もう一人は、やはりフランス人のアラン・プロスト

FISA(=バレストル)は当然プロストに有利な判断を繰り返します。

もっとも有名なエピソードが

1989年にチャンピオン獲得がかかった鈴鹿で

アイルトン・セナとアラン・プロストが接触、

セナのみがレースを失格になり、罰金&スーパーライセンス剥奪の仮処分を課された事件も

有名なエピソード。





このあまりにもゆがんだ事態に立ち向かったのが

現FIA会長であるマックス・モズレーでした。

詳しくはまたの機会に記事にするとして、会長選挙で激しく争った末、

バレストルを破り、F1に民主政治を持ち込み現在に至っています。









バレストルとは宿敵ともいえるモズレーも前会長の死去には驚きを隠せず

哀悼の意を唱えます。

モズレー
バレストル氏は世界のモータースポーツにおいて多大な影響を残した人物で、彼を失った悲しみはFIAにとっても計り知れないものだ




バレストルが持ち込んだ最大の功績、それは

F1カーの安全性能を飛躍的に向上させたこと。

詳細なクラッシュテストの規定を作り上げたことで知られており、

この競技における安全性を飛躍的に向上させました。

バレストルのおかげでどれだけのドライバーの命が救われたことか。





当時のF1はコース外での政治劇があまりにも多く

見方を変えればグランプリにかかわるすべての人間が

個性あふれる人間模様を繰り広げた時代でした。

またひとり、グランプリの生き証人がいなくなりました。


故人のご冥福をお祈りします。合掌。







  














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Posted by ヒデ坊 at 04:21 │Comments(2)TrackBack(0)

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この記事へのコメント
合唱( ̄人 ̄)

個性的な人でしたね。F1を見始めた頃は、やる事が汚いし、不公平な感じがするのでいい印象がありませんでしたが、私にとっては大人の世界を教えてくれた人でもありました。
どんな世界でも生身の人間のやり取りがあって、回っていくのですから、
こういう部分を(一部ではありますが)隠さず見せてくれたのは、『面白かった』です。
Posted by kagura at March 31, 2008 11:30
私はF1ファン歴が浅いので、そんな偉大な方とは知りませんでした。安全性において功績を残したことが凄いですね!ご冥福をお祈りいたします。
Posted by yumin at April 03, 2008 04:57